キーワードでひもとく社風

1.三方よし
起源のページでもふれた伊藤忠商事の原点にある「売り手よし、買い手よし、世間よし」の考え方。自分と相手そして社会全体の利益を常に意識する、いわばWin-Win-Winの関係を築く大切さを説いたものです。
2.非財閥系の雄
伊藤忠商事は繊維産業の盛んな大阪に基盤を置く繊維商社から総合商社へ発展してきました。大手総合商社の中には財閥系の商社と非財閥系の商社があります。非財閥系は財閥系に追いつき、追い越すために、いわば自力で総合商社化を推進しなければなりませんでした。ハングリー精神、人の力、人の力を信じる力が伊藤忠の成長を支えてきました。また、非財閥系ゆえにフリーハンドな展開ができることも大きな力です。グループのしがらみなしに最もふさわしいパートナーを選べるという利点があります。
3.自由闊達、機会均等
非財閥系という出自とも関わりますが、社員一人一人が「1対1なら負けない」という強い情熱と挑戦心をもっているのが伊藤忠商事の特徴です。若手を含め、社員に大きな権限を与えて、大きな仕事をまかせる。「これは駄目」「あれは駄目」ではなく、誰にでも挑戦する機会を与え、自由闊達に仕事ができることが伊藤忠の良さだと、現社長の岡藤も明言しています。
4.屈すべきときに屈しなければ伸びるときに伸びられない
伊藤忠商事は、恐慌、震災、戦災といった歴史の荒波を「積極・機敏・合理」の経営で克服してきました。その中でも第一次世界大戦後に訪れた経済的混乱は、伊藤忠商事を倒産寸前の危機に追いこみます。投機にわく市況の抑制策を引き金に東京株式取引所での株価の大暴落が起こり、生糸や綿糸相場も大きく根を崩しました。営業債権の回収が進まず膨大な債務を抱えることになった当時の心境を二代目忠兵衛は「言語に絶するものがあった」と語っています。この危機に際し、貿易業務から撤退するなど本業への集中を図るとともに人員整理、経費削減を断行することで債務を全額返済、見事に再起を果たしました。このとき「屈すべきときに屈しなければ伸びるときに伸びられない」という弾力性のある経営哲学と、経営者にとって危機の「管理」と「決断」がいかに大事であるか身をもって学びました。
5.バイタリティ
初代・忠兵衛の人柄が見える、こんなエピソードをご紹介します。近江での商売を軌道にのせた忠兵衛は、船旅で九州へ売りに出ることにしましたが、それを伯父の武兵衛は止めました。当時の九州は倒幕運動が盛んで、商品やお金どころか、命を奪われる危険性もあったからです。それでも「そんな時代だからこそチャンスなのだ」と忠兵衛は耳を貸しませんでした。しかし、九州の市場は大きな組合に占拠されていて、よそものがつけいる隙はありませんでした。忠兵衛はそれでもめげませんでした。彼らの酒の席に押し入り、商売を教えてくれと懇願しました。若者たちにつまみ出されそうになりながら、柱にしがみついて、必死になって商売の夢を語ったそうです。それを「面白い若者」と思った頭が、忠兵衛を好意に扱い、九州での商売の糸口となりました。開拓者精神、バイタリティといった伊藤忠の企業文化の源泉が、ここにあらわれています。
6.ラーメンからミサイルまで
高度成長期に総合商社の代名詞として「ラーメンからミサイルまで」といわれた時代がありましたが、非財閥系商社の場合は開拓精神が旺盛な大阪商人の伝統を生かして、新しい商品やサービスを求め積極的に商権の開拓を推し進めました。もちろん日本国内だけでなく、「どんな僻地に行っても関西の商社マンが商売をしている」と言われたほど、世界を駆け巡りました。また非財閥系商社は財閥系のように企業グループのバックアップが強くないため、自ら産業の育成、オーガナイザー機能を発揮し、成長していったことも特徴としてあげられます。そして伊藤忠商事は戦後最大の企業合併といわれた鉄鋼の名門商社安宅産業との合併(1977年)でハード部門が強化され、売上高で財閥系を抜いて、業界ナンバーワンに踊り出ることになります。こうして総合化、国際化に大きな成果をあげた伊藤忠は、1980年代から新たな展開を目指すことになります。それは、単なる仲介ビジネスからの脱却でした。具体的には生活消費関連・情報関連・資源関連・ソリューション(金融、物流等)ビジネスなどのそれぞれの事業領域において、川上から川下まで各事業がそれぞれの分野での競争力を強化していくということでした。伝統の繊維部門においても世界的なファッションブランド導入に注力し、昨今のブランドブームを陰で支えてきました。現在ではファッションだけでなく、衣・食・住といったライフスタイルから、ライフケア分野、新エネルギー分野にまで、事業領域を拡大しつつあります。
7.商事は商時
越後元社長の相場で培った勝負に対する鋭い判断力と先見性、これも伊藤忠商事の文化として受け継がれています。越後元社長の「商事は商時」という言葉が伝えられています。商機(ビジネスチャンス)をつかまえるのも、逃すのも、商いはまさにタイミング。機を見て、勝負するときは思い切って勝負する。その時大切なのは時代や経済を的確に見抜く判断力と先を見る目です。例えば伊藤忠は総合商社のなかで中国貿易に強いことで知られています。今でこそ13億人の人口を抱える巨大市場として世界中の企業から熱い視線を浴びている中国ですが、1972年の日中国交正常化以前は一部の中小業者によって、日中貿易は細々と行われているに過ぎませんでした。そんな状況のもとで、伊藤忠は1972年、大手商社のトップを切って、中国政府から友好商社のお墨付きを得て、本格的な中国ビジネスに乗り出しました。当時の越後社長が「国交が回復すれば、中国市場は必ず重要な貿易国になる」と判断し、60年代からさまざまな準備を重ねてきた結果でした。そして現在では、大手総合商社のなかでは最大級の拠点網を整えるとともに、幅広い人的ネットワーク、有力企業との提携関係、そして、中国に関する豊富な知見を備えた人材の層の厚さといった競争優位性を確立しています。「中国最強商社伊藤忠」という現在の地位は、過去の先見性がもたらしたものといえるでしょう。
8.清く、正しく、美しく
20世紀から21世紀の変わり目、「人心を一新し、新しいリーダーの下で飛躍に向けてのスタートを切りたい」という期待を受けて社長に就任した丹羽宇一郎が、社員に向けた最初のメッセージです。当時、伊藤忠は莫大な不良債権や不良資産を抱えており、「このままでは伊藤忠は破綻するのではないか」とまで言われる状況でした。丹羽の出した結論は、「20世紀中に起きた問題は、20世紀中にけりをつける」。21世紀に向けて飛躍するための「改革」を断行しました。2000年、過去の負債を一掃すべく4000億円にも上る特別損失を計上。経営改革には、痛みが伴いますが、丹羽はその実態と展望を包み隠さず、正確に全社員に周知しました。その結果、経営陣と社員は一体となり、翌年には過去最高益を実現。伊藤忠は再生に向けた第一歩を踏み出しました。「汚いことをせず、社会正義に反せず、卑しい事をしない。社員として、会社として、品位のある行動をしよう」というメッセージを、丹羽自身が実践し、社員に響かせ、伊藤忠の企業体質として確かなものにしました。
9.チャレンジする強い集団
時代の流れを読み、半歩前、一歩前へ出て、チャレンジするのが伊藤忠。若い社員が新しい案件に積極的に挑戦する。仮に失敗しても、再び挑戦するチャンスが与えられる。起案したプロジェクトに挑戦して、たとえ負けたとしても、そのリスクは会社が負うから再度チャレンジすればいい。伊藤忠にはそういう文化があると、現会長の小林も社長時代に明言していました。
10.現場主義
現社長の岡藤が、就任当初から社員に繰り返し伝えているのがこの言葉です。現場主義というのは営業担当であれば現場に足繁く通い、消費者・顧客目線で市場のニーズを的確に把握すること、職能担当であれば営業と一緒になって現場に赴き、具体論で解決策を提示することです。会議や資料作成ばかりに時間を費やすのであれば、その時間を現場で使う。商社だからこそ自分の目で現場・現物を見て、自分で生きた情報を集め、その上で判断する。そういった現場主義を徹底することで、時代の変化に対応し、より一層スピーディーな経営を目指しています。